THANK YOU FOR EVERYTHING.

閉園まで

あと





誰もが早く泳げるプールが出来ないか?

泳げない子供でも泳いだような気になるプールが出来ないか?

というところから計画がスタート。

 

前例が無い計画なので、流速はどのくらいがいいのか?

プールの幅はどのくらいがいいのか?

全て分からないことだらけ・・・。

 

当時の計画スタッフが多摩川の上流に行き、

身体に紐をつけ、川の流れに身を任せ、下流に向かって流れていき、 安全で心地よい流速を測定したとのこと。

流速の想定は川に落ち葉を流し1秒間に何メートル流れるかで 確認し決めたそうです。

結果、流れるプールの流速を毎秒1mとしたそう。


流れるプールの幅は何メートルにが良いのかについても、
喧々諤々があったそうです。
計画スタッフのトップは「12mがいい」、

財務経理の担当者は「4mくらいでいいのでは?」
計画スタッフのトップが「それではどぶ川と同じじゃないか!」というと、財務経理の担当者は「幅が広ければ広いほど建設費が膨大になります」と言いはり、両者どちらも引かず、最終的には中間をとって8mにしたそうです。


1m/秒の流速にするには、一周330mの流れるプールに何台のポンプを設置すれば良いのか?設備設計者は9~10台のポンプが必要と割り出したそう。


ついに建設に着手し、完成後直ぐに解ったことは、プールに人が入れば入るほど、ポンプを一台ずつ止めても、流れは変わらず、流れてくれることが分かったのです‼
つまりプールの中のお客さまがポンプとなって流れを作ってくれたのです!今は5台のポンプを可動させています。



1951年遊戯施設【空飛ぶ電車】として運行されました。
懸垂型プロペラ推進方式を計画していましたが、
推力が出ないために台車をモーターで回す方式に変更しました。
車体は日立製作所笠戸工場で製作されました。


1957年 世界初のインドアスキー場としてオープンしました。
ただし、冬季限定の営業で、現代のように1年中滑れるわけではありませんでした。


角氷を大量にストックして雪を維持していたようです。
また現在のようなリフトではなくロープにつかまってのぼる
「ロープトゥ・リフト」方式でした。


としまえんプールに1988年7月23日ウォータースライダー
「ハイドロポリス」がオープンしました。
当時、ハイドロポリスはその規模から世界最大級と
言われていました。流れるプール、波のプールに続き
としまえんプールの代表的な施設となりました。


夏の人気ナンバーワンであるとしまえんプールの『ハイドロポリス』には、さまざまなタイプのスライダーが勢揃い。
丸いパイプの中を滑り落ちて行く「アクアチューブスライダー」、

樋のようなスライダーの中を滑って行く

ジャイアントスライダー、そしてインナーチューブに乗って右に左に揺れながら滑り降りて行く

『リバーランスライダー』など、バラエティに富んでおり、

まさに巨大な「水の絶叫マシン」です。
開業当初に設置されたスライダーの本数は31本でした。


アメリカのウォーターパークで大人気の曲線スライダーを
いち早く日本に導入したいと考え、としまえんは動きました‼
アメリカ、カナダなどのさまざまな
ウォータースライダーメーカーに打診し、なんとかカナダにある設計会社にお願いできることが決まりました。
お客さまを待たせないスライダーの本数は何本か?
20,000人以上のお客さまがプールに入場した時でも、
20分以内に1本滑るには何本あればよいか?
計算の結果が31本。
日本最大、世界最大を謳いたいための31本ではありませんでした。



乗り物の中で一番スムーズな乗物は?
海賊船またはパイレーツと呼ばれている乗物です。
振り子運動をそのまま乗物にした、
シンプルで無理のない運動が心地よい乗り心地を体感できます。
「それを巨大化して、多くのお客さまに楽しんでいただきたい!」
そんな想いから、通常のパイレーツが40人乗りのところを、
1隻120人乗りのパイレーツを2隻作ることにしました。


ローラーコースターが狭いトンネルを疾走したら
どんなに怖く、楽しいことか!
開業当初はトンネルの壁面にレインボーカラーの
照明が付けられていました。
当初、たまたま照明を消灯しているときに
サイクロンを走行させたら、真っ暗やみでスリル200%!
前方が見えない暗闇での疾走は何とも言えない恐怖で迫力満点!
トンネルを走行するコースターとしては日本初ということでした。



当時、アメリカの遊園地では当たり前であった制度ですが、

1977年3月に「シーズンパス」、

1980年には「フリーパス」を日本の遊園地で初めて導入しました。


1年に何回来ても、のりものにたくさん乗っても、
プールに何回入っても均一料金で楽しめる
年間会員制度「木馬の会」を導入しました。
ちなみに「木馬の会」はカルーセルエルドラドから名づけられました。


また、それまでの遊園地は乗物に乗るごとに
チケットを係員に渡していましたが、
どれに何回乗っても均一料金のチケットを販売しました。
日本初の「フリーパス」です。


としまえんがのりもの遊園地といわれる最初のアトラクションです。
1927年に日本初となる本格的スリルマシーンが誕生しました。
見ているお客さまは船頭さんのパフォーマンスが楽しみだったそう。
たまに水の中に落ちる船頭さんがいて、お客さまを笑わせていました。



「カルーセルエルドラド」は、1907年にドイツのヒューゴー・ハッセに
よって作られました。同年にドイツのミュンヘンで開催された
“オクトーバーフェスト”において、初めて人々に披露されました。
1911年、ともに制作に携わった弟にカルーセルを託し、
ニューヨークのコニーアイランドにある遊園地
スティープル・チェイス・パークに送り出しました。
カルーセルはスペイン語で“黄金郷”を意味する「エルドラド」と呼ばれ、
1964年に閉園するまでコニーアイランドの名物として
多くの人々を楽しませました。


遊園地が閉鎖されると「エルドラド」は解体され、
ひっそりと、倉庫に収められました。
その噂を聞きつけたとしまえんが購入し、
1969年「エルドラド」はニューヨークの人々に惜しまれながら
貨物船にのり、太平洋を旅して日本にやってきました。
解体された「エルドラド」は、専門家の監修による修復作業を経て、
製作当時の姿に復元され、
1971年4月3日から再び子供達の夢をのせて回り始めたのです。



としまえんで回り始めて46年。
その間にはカルーセル・エルドラドのその生い立ちをテーマとした
ミュージカルを上演したり、2010年には日本機械学会より第38号機械遺産として認定されました。
としまえんの宝というより、日本の宝となったエルドラド。


ここで終わらせるわけにはいきません。


エルドラドは解体され保管されます。
またどこかでお会いできる日を楽しみにお待ちください。


新たな地で永遠に回り続けるでしょう。










スターダストプロモーション制作3部に所属、きみのハートにロックオンっ!
「超ときめき♡宣伝部」野を超え、山を越え、ときめく何かを宣伝するために彼女たちは今日も歌う…

2020年4月1日より新メンバー 超ときめき♡レモン「菅田愛貴」が加入。
新体制での活動に伴い、またグループ結成5周年となり「もっともっとパワーアップしたい」という想いを込め、グループ名をときめき♡宣伝部から「超ときめき♡宣伝部」に改名し活動中!

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